外国に自由を求めた時代もあった『つづりかた巴里』

高峰秀子が20代の頃、半年間パリに滞在した時に書いたエッセイ「巴里ひとりある記」を復刊し、それにその後のつれづれなるエッセイを追加したエッセイ集。
「巴里ひとりある記」は高峰秀子が26歳のとき、女優という職業に疲れ、家を売り払って旅費にあて、何もかもを捨てて身軽になるために行った巴里の滞在記で、彼女の初めてのエッセイである。彼女自身も書いてある通り、文章も拙く、構成もまちまちで、パリでの生活を生き生きと描き出すということには成功していないけれど、今から50年ほど前、パリに逃げ出したひとりの人間としての高峰秀子の心情はしっかりと伝わってくる。
そして、その後のエッセイからはパリ滞在と結婚とを経て自分問うものを新たに獲得することが出来た彼女の姿が浮かび上がってくる。
そのなかに「こころの友たち」と題された旅先で出会った人々について書いたエッセイがある。その中に「顔」という非常に短いエッセイがあるのだが、そこに「それにしても、何しろ映画界に百年もいたので、この顔も大勢の写真屋さんにナメるごとく撮られつくして、私にはもう顔がなくなったのは悲しいことである」という非常に印象的な文がある。好きではない女優という職業を50年も続けた彼女の心情がここには刻まれている。女優としては大成したが、その陰には本当にたくさんのいやなことがあった。
「顔がない自分」、自分をそのように見てしまうということはもちろんすごく不幸なことだ。それでも彼女はそれに負けず、自分なりの幸福を築いて行った。それはすごいことだと思うが、控えめであることを美徳とする彼女は決してそんな事は言わない。ただひっそりと、日常のことをあーでもない、こーでもないと書き綴るのだ。私はもちろんスクリーンの上の高峰秀子も好きだが、そのようにひっそりと暮らしている松山秀子さんの方を応援したい。 http://amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4267049505/hibikoreeiga-22