アーキラボ展@森美術館

アーキラボ 建築・都市・アートの新たな実験副題は「建築・都市・アートの新たな実験展 1950-2005」とあり、建築がどのような実験をして、どのような都市や社会を夢見てきたのかを歴史的に語った展覧会となっている模様。展示は順路どうりにまわれば、年代順に「建築的な夢」を追って行くことができる。
この展覧会は全体的にいえば、面白いのだが、わけがわかったのかといわれると、今ひとつわけがわからない。
最初のセクション「脈動する都市」のあたりは50年代60年代が中心で、その頃のコンセプトはユートピアとしての未来都市であり、そこには丸みを帯びたユニットによる建造物がよく似合うというような思想にあふれている。この辺りはよくわかる。
次のセクション「終わりなき都市」はクロード・バランとポール・ヴィリリオの「斜めの機能」というのに焦点を当てて、会場自体に斜面を作るという構成になっている。これは体験型というか、展示全体の垂直線が混乱することで展示を体験すること自体が面白いという感じになっていいのだが、言っていることは今ひとつぴんとこない。このセクションが一番SFっぽかったような気がする。
次は「解体される都市」ということで「脱構築」がテーマになり、もうほとんどわけがわからない。建築というのは即物的なものではなく哲学的なもの、あくまでも思想なんだという主張がにじみ出てくるにはくるのだが、建築といえば六本木ヒルズみたいなものを思い浮かべる私のような一般人には、哲学と建築が結びつくというのが今ひとつ実感としてわからない。
最後は現代で「文脈化する都市」。ここは現代だけに、全体的な共通項というモノがなくて、それはそれで見やすい。全体的にどうこうというより、どれに興味や共感をもてるかという話だからだ。私はファイナルホームの服に水やら乾パンやらカイロやら詰めた隈研吾の作品、ゴムの表面に漆を塗装したというNOXの柔らかい構造体、坂茂の紙の家なんかが面白かった。坂茂の紙の家は実際に仮設住宅として使われているものだということで、実物があったらよかったんだけれど、模型しかなかった。

さて、会期末近くということで案外込んでいたが、客層としてはいかにも建築を勉強していますという学生さん、シティー・ビューついでにふらりと入ったカップル、(私のように)ひとりでふらふらと眺めるひとという感じ。金曜の夜なのに、結構一人の人が多かったのがいい感じ。

3/11の「ほぼ日刊 日々是映画」
ポール・W・S・アンダーソン監督『エイリアンvs.プレデター
御存知『エイリアン』vs『プレデター』。それだけです。
http://www.cinema-today.net/0503/11p.html

3/11の「日本名画図鑑」
黒澤明監督『生きる』
出演:志村喬、日森新一、小田切みき金子信雄
http://www.cinema-today.net/magazine/meiga.html