『1984年』 ジョージ・オーウェル著 ハヤカワ文庫 1972年

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)古本屋で購入
いわずと知れたSFの古典的名著。オリジナルは1949年に書かれ、35年後の世界を想定し、世界が3つの社会主義超大国によって成り立っている世界を描き出した。テレスクリーンという双方向のスクリーンによって行動のすべてが監視される社会、主人公のウィンストンはオセアニア国の記録省で記録の捏造の仕事に携わる傍ら、テレスクリーンから死角になる自宅の片隅で日記をつけるという冒険をし、そこに政府に反抗するようなことを書き連ねていた…

この小説が書かれたのはすでに50年以上前、未来として描かれた1984年ももう20年も前のことになってしまった。ありがたいことにこの本に書かれているような未来は訪れなかった。もちろん、この本は決して予言というわけではないが、この49年当時から見てありうるひとつの未来の形を描いたものであるとはいえる。世界のすべてが社会主義国家によって支配され、それも3つの少数者支配の超大国であるという未来。その3カ国は常に戦争状態にあり、国民の大部分は教育レベルの低い隷属的な労働者、国民の一部は党に奉仕し、私生活のすべてに至るまで絶えず監視されている党員。
この設定は凄く面白いし、完全な監視社会という設定は今でもリアルな近未来像としてありえると思える。しかし、正直なところこの小説はそれほど面白くない。この未来とされる社会の説明がくどいし、そのくどい説明によって物語の展開が非常に遅くなって行ってしまっている。
それは、この社会主義国家の脅威というものがこの小説が書かれた49年と現在ではあまりに違いすぎるということが最大の要因だ。いまさら社会主義国家がどのように独裁的な体制で、大衆を搾取し、いかに権力を保つのかという話をとうとうと聞かされても今ひとつ興味をもてないのだ。それでも、主人公のウィンストンの気持ちには共感できるところがある(圧制からの解放を望んでいるという非常に近代的な試走の持ち主である)から、何とか読み進むことが出来るということだ。
なので、読み進むことが時に苦痛になり、特に中盤のゴールドスタインの本なるものが長々と紹介されるあたりは退屈にもなった。

しかし、この作品の最初から一貫して語られる「戦争は平和だ」というスローガン、これはゴールドスタインによる説明の部分も含めて、現代的に見ても面白い部分だと思う。「平和のために戦争をする」という近代以降語り続けられているテーゼ、それがさらに進められたところにやってくる「戦争は平和だ」という考え方。
今のアメリカ合衆国とブッシュの話を持ち出すまでもなく、戦争と平和はずっと密接な関係にあった。イラクフセインアメリカのブッシュも「戦争は平和だ」という考え方をしていた(いる)という点においては同類だったのではないか。

それにしても、この作品はすでに完全なる古典に限りなく近づいている。シェイクスピアみたいにとは言わないが、SFというジャンルの小説もこれくらいまでに古典になりうるのかということには、ある種の驚きを覚える。さらに今から50年たったら、この作品はいったいどのように読まれるのだろうか?

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4/12の「ほぼ日刊 日々是映画」
加戸敏監督『濡れ髪剣法』
出演:市川雷蔵八千草薫中村玉緒
能天気なエンターテインメント時代劇、八千草薫がかわいい。
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