原爆へのまなざし『新藤兼人・原爆を語る』

この本は映画監督新藤兼人が、自身が作りあるいは作ろうとしている原爆にまつわる映画について語った本である。最初に来るのが『原爆の子』、この作品は1952年に撮られた、事実上の日本初の原爆映画であった。その撮影と資金繰りに関する苦労話がその中心になる。それ以後も『第五福竜丸』『8・6』『さくら隊散る』『原爆小頭児』という作品を撮った新藤兼人は、最後に集大成ともいえる『ヒロシマ』のシナリオを載せる。
この本に溢れているのは、映画では描ききれなかった原爆被害者たちの声である。新藤兼人自身広島出身で、姉が原爆投下の翌日から市内で看護婦として活動したといった原爆との関わりを持っている。その彼の原爆へのまなざしは暖かだ。原爆を落とした米や、そのような自体を招いた日本の軍部を非難する前に、現在を生きている被爆者たちと、彼らの想い出の中に生きている犠牲者たちのことを思う。その暖かさが被爆者たちから声を引き出す。映画では役者が演じるが、この本には実際の被害者の声があるし、その声が映画で演じた役者たちにも直接に伝わっているのだということもわかる。
彼は、『ヒロシマ』においてついに直接的に原爆そのものを撮ろうと考えるが、実は彼はすでに原爆を撮ってしまっているのかも知れない。原爆とは爆弾そのものだけを示すのではなく、それを受けた人々と土地をも示す。彼はそれを撮り続け、そこに原爆が映し出されている。実際の爆発の瞬間を映像で表現しなくても、彼はもう原爆を撮ったのだ。
しかし、記憶は風化する。あるいは風化させられる。新藤兼人がシナリオで示した『ヒロシマ』が完成すれば、それは日本人が世界に原爆の恐ろしさ、無意味さ、を伝える重要な武器になるだろう。そして、日本人が年に一度ヒロシマを思い出すときにも、その記憶を新たにするのに役に立つだろう。実際に原爆を経験した人たちがどんどん少なくなってしまっても、それは国民的な記憶として受け継がれるはずだ。

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