SFファンなら…『オルタード・カーボン』

人間の個性/アイデンティティがスタックと呼ばれる記憶素子に詰め込まれ、それが脳に接続される。そのスタックを入れ替えれば、スリーブと呼ばれる肉体を代えても人格は変化しない。そんな未来世界の設定がまず面白い。脳移植などによって不死の肉体を手に入れるというアイデアはSFのひとつの伝統であり、様々な方法が考えられてきた(一番オーソドックスなのは、脳移植用の体細胞クローンを作るというもの)がこの作品は、そのようなアイデアの中でもオリジナリティがあり、しかも面白い。
人間の精神と肉体、その完全な乖離がもたらす現在とはまったく異なった価値観、それでも人はもともとの肉体に固執する。そして、その固執に根拠を与えるかのように、人間の肉体の間には精神では把握しきれない感覚のようなものがある。この物語の主人公であるタケシ・コヴァッチはそのような精神と肉体の間をさまよう。精神と肉体は物理的に完全に切り離されてしまったにもかかわらず、全てを精神でコントロールすることは出来ないのだ。この作品は一貫してそのタケシの一人称で語られるわけだが、その一人称とはタケシの精神の一人称であり、肉体が感じることはまるで他人の感覚であるかのように語られるのだ。
読者はその未知の世界をタケシとともにさまよいながら、その世界の感覚をつかんで行く。この作品のミステリの謎解き事態がこの世界全体のシステムの謎解きにもつながって行くことで、この作品を体験するということが、この作品が前提としている世界を体験することと等しくなっていく。
だから、このような非常にSF的な世界に興味がある人ならば、ぐんぐんと作品世界に引き込まれていくことになるだろう。しかし、その前提にあるのはコンピュータと人間の境界を無化したサイバーパンク的なものである。だから、ウィリアム・ギブソンなりグレッグ・イーガンなりに親しんで、サイバーパンクという世界を感覚的に捉えている人でないと、すんなりと物語には入っていけないのかもしれないとも思う。

フィリップ・K・ディック賞を受賞したらしいが、確かにこの作品を始めとしたサイバーパンクの流れの根源にはフィリップ・K・ディックがいる。この作品自体はフィリップ・K・ディックの作品とは違って明らかなエンターテインメント作品だが、映画化されたら似たような感じの映画が出来そうな共通する世界像があるようにも思える。

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