外から日本を見る『敗北を抱きしめて』

戦後60年を考え、靖国神社へも行った締めくくりという感じで読んだこの本。日本研究者のジョン・ダワーが大衆を研究することによって得た戦争と戦後の日本人の新たな一面をわかりやすく描いている。
ふーんと思うことも多いし、勉強させられることも多い。特に天皇にまつわる記述については外国人であるだけにためらいも何もなく書いてあり、明解で気持ちがいい。日本人が書くとやはりどこかで「天皇の事は…」という躊躇が働いてしまうのではないか。この本ではそのような戦後の日本の不健全さも説明されているように思える。そのように思ったのはダワーのこんな記述だ。少し長いが引用してみる。
――この観点から見ると、この[GHQの]「上からの改革」のひとつの遺産は、権力を受容するという社会的態度を生き延びさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、普通の人には事の成り行きを左右することなど出来ないのだという意識の強化である。
もちろん、天皇と戦争責任の問題を考えることも重要だ。しかし、戦争と戦後の連合軍による占領がもたらしたそのような「遺産」について考えることも、現代においては非常に重要なことなのではないかと思う。
今度の自民党の圧勝にもどこか集団的諦念のにおいを感じる。どうせ自分で事の成り行きを左右できないのなら、勝ち馬に乗って行こう、そんな人々の姿勢が自民党の圧勝につながったのではないか。民主党政策論争をするといいながら、結局はいかに自分たちが勝ち馬になるのかという権謀術策に溺れていたのではないか。全てが選挙の勝ち負けのために動く社会、そんな社会になったら権力者の暴走はもう止まらなくなってしまうのではないだろうか。

何たること?『ヌーヤルバーガーなんたることだ』

沖縄おもしろ情報が書いてある本かと思って読み始める。前半は著者が友達と思いつきではじめた沖縄長期滞在のドタバタ記。大家さんのキャラクターなどが面白くて、沖縄という場所の暖かさや面白さは大変よく伝わる。しかし、筆者は結局何をしているわけでもなく、読んでみてもふ〜んという感想以上のものは浮かんでこない。
後半は、その長期滞在のあと、三度四度と沖縄を訪ねたときのグルメ記のようになっている。ここで面白いのは一緒に行った友達に関する記述。わけのわからない行動を取る友人との関係が面白い。しかし肝心のグルメのほうは今ひとつ。役に立つんだかたたないんだか、そしてうまいんだかうまくないんだか。
この人は人のことを描くとそれなりに面白いが、情報を伝えたりということはあまりうまくない。自分のことを書くのもあまりうまくない。絵もうまくない。

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物語の源泉としての死『グラスホッパー』

鯨、蝉、槿という奇妙な名前、自殺させ屋、殺し屋、押し屋という奇妙な職業。それらに共通するのは人間ではないものの名前と、人を死に導く職業である。この物語はずっと死と隣接し続けて、まるでそこの見えない崖の淵を歩き続けているかのような緊張感に覆われている。
伊坂幸太郎はこれまでの作品でも確かに常に死というものを題材にしてきた。登場人物の誰かしらが大切な人の死を心に抱えているということは多かった。彼にとって死とは物語の源泉、まさに物語が湧き出る場所なのだろう。大切な人の死を抱えることでその人の特別な物語が始まる。彼はそのようにして物語を紡いできた。
その伊坂幸太郎が、死を導く人々を物語の中心に据えるとき、それはずっと物語が湧き出るその源にとどまり続ける。物語の時間は進み、次々と出来事がつながって、何かが展開している事は確かなのだが、それが先行きの見えない暗さを持っているのはそこから湧き出る物語たちが紡ぎだされず、彼らを死に導いた主人公たちの上にのしかかってくるからだろう。彼らが殺した人々の記憶に押しつぶされそうになるのは、彼らの死から始まる物語の重み故なのだ。
その中で鈴木だけが、妻を亡くした夫という伊坂幸太郎の物語のまっとうな担い手として現れる。だから物語は彼を中心に展開されるわけだが、伊坂幸太郎の小説の特徴のひとつは主人公よりも周囲のキャラクターの方が魅力的だという点にある。この物語で言えば、鯨や蝉が非常に魅力的なキャラクターで、読者は結局彼らに力点を置いて物語を負ってしまうことになる。だからこそ、この小説は物語が展開して行くのとは裏腹に、一向に先が見えない暗さを持ち続けているのだ。
私はそれも面白いやり方だと思う。伊坂幸太郎は自分の物語の出発点に常にある死というものの裏側を見始めたのだろうか。この作品に続いて書かれた小説は『死神の精度』という死神を題材にした小説らしい。それは引き続き人を死に導く存在を描いた作品であるだろう。だとするならば、彼は自分自身の物語を巻き戻すようにして小説を書き続けているということになる。死から生まれた物語の結末に当たる部分から書き始めて、徐々に始原たる死に近づいて行く。そのように彼の著作は書き連ねられている。
そんな風に考えると、この先の彼の作品がどのように展開して行くのかも楽しみになってくる。

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生々しい心の傷跡『砕かれた神』

これは少年兵として海軍に志願し、ミッドウェー、マリアナ、レイテ沖の海鮮を経験し、ほとんど生存者のいなかった戦艦武蔵から奇跡的に生還し、復員した若者の戦後のおよそ半年間を綴った日記である。そこに描かれているのは、百姓としての日々の生活とやるせない想いである。天皇のためにという言葉に突き動かされて命を懸けてきたその天皇の変わり身、敵国といわれそう信じてやまなかったアメリカに対する敵意、そのアメリカにおもねる人々に対する軽蔑、死んだ戦友に対する想い、それらが織り交ぜられて、生々しく素晴らしい戦争の証言になっている。
特に面白いのは天皇に関する記述だ。復員した当初はまだ「天皇陛下」と呼び、控えめに「畏れおおいことだが、この責任は誰よりもまず元首としての天皇陛下が負わなければならない」などと書いているのだが、9月30日になって天皇陛下マッカーサーを訪問した写真を見て、その卑屈さに衝撃を受け「おれにとっての“天皇陛下”はこの日に死んだ」と書いた。これ以降は天皇に対する攻撃的な姿勢を募らせ、マルクス主義的なほんの影響もあってか共産党に肩入れするような記述が増える。そして、戦時中は忠誠心を表していた「赤心」と共産党を意味する“赤”をもじって、今のおれこそ「赤心」の持ち主だとしゃれたりしている。しかし、天皇に対する敵愾心が納まってくると、そのような天皇を無批判に信じてしまった自分自身にも責任の一端があったと考えるようになる。この辺りは彼自身が自分が小学校出で頭がよくないなどと書いているのとは裏腹に、非常に考えられた意見なのである。そしていまだに天皇をありがたがる人々が多いのを見て苦言を呈しているのだ。
そして、彼は最初のうちは人のいうことや本に書いてあることを真に受ける傾向があったのだが、少しずつそれを自分の考えと対峙させて、考えるようにも変化している。戦争が終わってすぐの段階では虚脱状態にあったのが短期間でこれだけの卓見を得ることが出来るようになるというのは素晴らしいと想う。

そのような天皇に関すること意外にも、戦後すぐの日本の状況の証言として素晴らしいものがいくつも出てくる。彼は田舎にいて食料に困らないのだが、都会では配給が遅れているということが語られ、たびたび都会から買出しに来る人が登場したり、軍事物資を着服した人々のことが出てきたり、戦争が終わるとともにころりと態度を変える節操のない大人たちを冷笑したり、本当に教えられることが多いのだ。
戦争責任だとかいうことを難しく書いた本よりも、よっぽど戦争と戦後の意味がよくわかる。今の日本が抱える矛盾の多くは、戦争直後の数年間にその根をおろしたものなのだ。彼がいうように天皇が責任を取らないということ、それは人々の責任感をそぎ、それが人々の利己的な行動を助長した。その裏のからくりはこの本から見えては来ないが、それは別の本で読めばいい。
この時代を生きた人々の生の感覚はこの本でなければ味わうことが出来ない。

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終戦記念日に靖国神社へ


終戦から60年の8月15日、生まれて初めて靖国神社に行ってみることにする。戦後六十年ということでその戦争に関する映画をいろいろ見て、いろいろ考えて、その考えたことが私を漠然と終戦記念日靖国へ導いた。
予想通りではあるが、神社にたどり着く前から右翼団体街宣車靖国通りに止まっていて、紺や黒のつなぎを来た人たちが数人ずつの塊になって立っている。しかし、いつものようにマイクでがなりたてることはなく、いたって静かだった。それほどの物々しさを感じることも無く、境内へ。さすがに境内はすごい人で、「靖国神社のために」というビラや日の丸がかかれた団扇が配られていたり、“チャンネル桜”というケーブルテレビのブースがあったりする。
境内には本当に様々な人がいる。数人連れ立ってきているような若者が意外に多く、それ以外にも家族連れも結構いる。もちろん、戦争を実際に経験した世代は多く、ひとりで、夫婦で、仲間と、あるいは孫を連れてやってきて、参拝の列に並ぶ。今日は異常なほどの暑さで、こんな暑い中長時間並んで大丈夫なのかと慮るが、彼らは60年前の暑い夏を思い出しているのかもしれないなどと思う。

そんなことを思いながら、私は参拝者の列を外れ、脇から本殿に近づいて行った。折りしも時間は正午、スピーカーから流れる声が人々に戦没者への黙祷を求め、右翼団体のものらしい号令の声が響く。その声がやむと、人々は頭を下げて目を瞑り、境内は急に静かになった。その時は確かに人々の戦争で亡くなった人々への鎮魂の想いが高まり、辺りが平和の祈りで包まれたような気がした。私も名も知らぬ戦士たちの魂に敬意を表して少しの間だけ目を閉じた。

再び号令とスピーカーの声によって静寂は破られ、荘厳な雰囲気は霧散した。ざわつき始めた境内に右翼団体の歌声が響き、歌が終わると彼らは「天皇陛下万歳!」と唱えた。

そんな中、本殿の脇で一人の男性がハーモニカを吹き始めた。右翼の怒号にも似た声とは対照的にその音色はとても寂しげで、心に染み入るようだ。もちろん、右翼団体の人々も彼らなりに死んで行った人々に対する弔意を示しているのだろうが、私にはそのハーモニカの男性のやりかたのほうがしっくりと来たのだ。彼は人々に何かを訴えかけようという意図からではなく、ただ自分のためだけにそうしているように見えた。その男性が実際に戦地で戦った元兵士なのかはわからないが、彼の行動は本当に死んだ人の魂に対して何かをしようとしているもののように見えたのだ。

境内やその周りには軍服を着て(時には三八式歩兵銃を持って)軍歌を歌ったり、行進をしたりする人々がいた。彼らの行動も戦争を思い出し、その記憶を風化させないための作業だとは思うのだが、右翼団体と同じように人々に何かを訴えかけようという意図が強く感じられ、鎮魂という私の思う終戦記念日のあり方とはズレがあるような気がしてしまった。

実際に靖国神社に行ってみて思ったのは、これは天皇を中心とする神道という宗教の行事に他ならないということだ。靖国神社のウェブサイトなどを見てもわかるように、天皇=国のために働いている中で死んで行った人々が祭られているだけであり、戦争で亡くなった全ての人々が祭られているわけではない。
もちろん肉親や友人を悼むためにこの日、靖国神社にやってくる人々は数多くいるわけだけれど、その全ての人々が天皇のために死んだ英霊として死者を追悼したいと考えているのか。平和遺族会の人々のように靖国神社に祭られることに違和感を覚える人々もいるわけだから、この神道という一宗教の施設が追悼の中心となっているのには問題があるのではないかと思えてくる。そこにA級戦犯の合祀などの政治的に顕在化している問題以前の靖国神社そのもののあり方になにか違和感を感じた。
もちろん問題はそんなに単純ではない。たとえば、「靖国で会おう」という言葉とともに散って特攻隊員たち、私たちは靖国神社に祭るという以外にどのような方法で彼らの死に報いることが出来るのだろうか。宗教から離れた形で戦争で亡くなった人たちを追悼する施設を作ろうとしたとき、私たちは彼らの死にどのような意味を与え、どのような形で彼らの死に報いればいいのかという課題を突きつけられるのだ。
その答えは私にはまだわからない。

そんな思いにふけりながらの帰り道、靖国神社の裏にあった不ぞろいの石柱がなぜか心にしみた。

* 今月の「日本名画図鑑」では「戦後六十年・戦争と平和」と題して、六十年前に終わった戦争に関係する映画を取り上げ、考察しています。亡くなった人々にどう報いればいいのか、まさにその課題の答えを探しているところですので、よろしければご一読ください。
詳しくは http://www.cinema-today.net/magazine/meiga.html

スープカレーってどう?

五反田にある「かれーの店うどん」に行く。カレーの店なのに「うどん」ってという当たり前の疑問が浮かんだものの、ライブドア・グルメの評判がよかったのでとりあえず食べてみることに。

スープカレーの店なので、おすすめと書いてあった「夜のスープカレー」を頼む。香ばしく焼いた鶏肉とがおいしく、バジルの風味がさわやかでいい。スープとご飯を別々に食べると、ご飯が甘くっておいしいですよといわれたので、その通り食べて見ると、確かにそんな気がする。ためしにご飯にカレーをかけて食べてみると、なんだか物足りない。うーん、まあおいしいけどすごいおいしいってわけではない。スープカレー好きの方は試しにどうぞ。
相方は“とろっと”という普通のカレーのほうを注文してみる。本当に普通のカレーだった。喫茶店で出てきそうなまったりとしたカレー。まあおいしいけど、別にここじゃなくても食べられる。
すぐそばにあったココイチよりはおいしいけどね!

原爆へのまなざし『新藤兼人・原爆を語る』

この本は映画監督新藤兼人が、自身が作りあるいは作ろうとしている原爆にまつわる映画について語った本である。最初に来るのが『原爆の子』、この作品は1952年に撮られた、事実上の日本初の原爆映画であった。その撮影と資金繰りに関する苦労話がその中心になる。それ以後も『第五福竜丸』『8・6』『さくら隊散る』『原爆小頭児』という作品を撮った新藤兼人は、最後に集大成ともいえる『ヒロシマ』のシナリオを載せる。
この本に溢れているのは、映画では描ききれなかった原爆被害者たちの声である。新藤兼人自身広島出身で、姉が原爆投下の翌日から市内で看護婦として活動したといった原爆との関わりを持っている。その彼の原爆へのまなざしは暖かだ。原爆を落とした米や、そのような自体を招いた日本の軍部を非難する前に、現在を生きている被爆者たちと、彼らの想い出の中に生きている犠牲者たちのことを思う。その暖かさが被爆者たちから声を引き出す。映画では役者が演じるが、この本には実際の被害者の声があるし、その声が映画で演じた役者たちにも直接に伝わっているのだということもわかる。
彼は、『ヒロシマ』においてついに直接的に原爆そのものを撮ろうと考えるが、実は彼はすでに原爆を撮ってしまっているのかも知れない。原爆とは爆弾そのものだけを示すのではなく、それを受けた人々と土地をも示す。彼はそれを撮り続け、そこに原爆が映し出されている。実際の爆発の瞬間を映像で表現しなくても、彼はもう原爆を撮ったのだ。
しかし、記憶は風化する。あるいは風化させられる。新藤兼人がシナリオで示した『ヒロシマ』が完成すれば、それは日本人が世界に原爆の恐ろしさ、無意味さ、を伝える重要な武器になるだろう。そして、日本人が年に一度ヒロシマを思い出すときにも、その記憶を新たにするのに役に立つだろう。実際に原爆を経験した人たちがどんどん少なくなってしまっても、それは国民的な記憶として受け継がれるはずだ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4406031693/hibikoreeiga-22

メールマガジン「日本名画図鑑」では新藤兼人監督の『原爆の子』を取り上げる予定です。興味がおありでしたら、ご購読ください。
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